表現すること、音楽と言葉

表現すること、音楽と言葉

ここ数年、コミュニケーションツールとしてすっかりおなじみになっているLINEについて、「LINEで子供がバカになる」というちょっと過激なタイトルで警鐘を鳴らすのは、中学受験生を対象とした学習塾の代表を務める方。言葉を駆使せずスタンプを送ることは古代人が洞窟に絵を描いて意思疎通を図ろうとしたことのようだと「サル化」という言葉を用いて人間が退化しているようだと表現しています。

この書籍のタイトルは、筆者が掲げたい「日本語運用能力の低下」を招いた事象の一例でしかありません。目次を見るだけでも、タワー型マンション、幼少時からの英語教育など、様々な観点から今の子供達が言葉で表現する能力を培う機会を失っていると指摘しています。

言葉とは、地球上で人間にだけ与えられた特権のようなもので、目で見たもの、聞いたもの、匂いを嗅いだり手で触れたりしたものを、実際にそれそのものを運ばなくても言葉を操ることでその状態を伝達できます。

携帯電話の発達はこれを一気に加速して、写真を撮ってメールで送れば伝達は一瞬で完了します。すごく便利になった反面、言葉を必要としなくなってしまったのです。人間の特権だった、何世紀にもわたって人類が育てて来た能力がたった数年で過去の技術になりつつあるとも解釈できます。

表現、伝える、というキーワードからなぜか音楽へとリンクしたのでネット上を検索したところ、非常に興味深い記事に出会いました。

PTNAのサイトに「表現力を高めるには国語力が必要」という記事があったのです。音楽を表現するにあたっても、より深みのある解釈をするためには言葉でより詳しい描写をする必要がある、というのです。これにはなるほどー!という感嘆しかありませんでした。

音楽と言葉って、何か共通するものを感じます。内面から生まれる言葉や音楽を通じて、相手に感動を届ける。言葉にも音楽にもできることです。そして、全く違う分野の二人が同じようなことについて言及していた。これば偶然ではないと思います。

ピアノ音楽教室は指先で音楽を奏でさせたらそれがゴールでいいのか、最近特に考えさせられます。音楽、ピアノの演奏を習得することがどれだけすごいことなのか、その魅力を伝えられるようになりたいです。

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