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考察:音楽・教育 - 2021年11月4日

ピアノレッスンを言葉から見直したい

生徒さんや保護者さんたちと接する中で、言葉の使い方は慎重にするべきとよく考えさせられます。「正しい言葉づかい」というより、ボキャブラリーの古さや時代を感じているのです。

学びの個別化

黒板に向かって一斉に授業を受ける従来のスタイルに対して、イエナプランのようにそれぞれがそれぞれに合った学び方を選ぶ、という方式が注目されています。

GIGAスクール構想の一貫として生徒一人一人にタブレットが配布(貸与)された今、みんな同じ教科書を持つ必要はないし、みんなが月曜日から金曜日まで同じ時間に学校に集まる必要性にも説得力が薄れつつあります(学校は必要だと思っています)。学校で習うことは概ねネットで検索できるからです。

既存の教科書が全員に適合するとは限らない、ひょっとしたらYouTuberの解説の方が面白かったりわかりやすかったりする可能性があるなら、教員の皆さんも無理に良い授業をしようとせず、生徒が自分で必要な知識を探せるようにした方が授業以外の生徒の心のケアなどに時間を割けるなど利点もあります。

ピアノ教室も同じだと思います。生徒さんと一対一のレッスンであっても、十人十色の多様性に合わせて指導するのもいいですが、本人が望んでいるものを自分で見つけられる力を身に付けてもらうことこそ理想出来であると目指しています。

言葉を見直してみた

とはいえ、ピアノ教室という業態で営業していると、そこには先生がいて、生徒さんがピアノを習いに来て、指導を受けて帰っていく、というルーティンがあります。果たしてこれでいいのだろうか、と問答する中で、言葉に違和感を感じるようになりました。以下、一部を書き出してみます。

教育

もはやこの言葉から見直したいです。子供は未熟だから大人が養う、育てる、教える…。上から目線の言葉に思えてなりません。子供だって立派な人間だし、未成年であっても社会の一員で大人と対等でいいはずです。学生と社会人という区別自体を改めるべきです。

子供にだってやりたいことがあるんだから(ゲームやアニメは良くないと思いますが)、基本的人権と自由を尊重するなら、大人の役割は子供の後押しに重きを置くべきです。

指導

教える側の立場として気をつけたいのは、「先生が言ったからやる」というような服従させる間柄には絶対なってはいけないということです。指導という言葉の本来の意味は導くことをいうのでしょうが、一方的に正しいものはこれだと押し付けるより合意を得ることこそ本来の姿だと思います。生徒に練習して欲しかったら、約束などの責任を押し付けるのではなく、やりたくて行動してもらえたとき初めて「合意」を得られたことになるので、理屈や圧力ではなく自然に動き出してくれることを目指したいと試行錯誤しています。

練習

ピアノといえば練習です。反復しなければ身につきません。ですが「練習しよう」というのは責任が伴っていて重いので使いたくない言葉です。押し付けるのではなく、やりたくなるような動機を植え付けてあげられたらと思います。

学力

「学ぶ力」と書いて学力なのに、知識が詰め込まれた度合いをテストして出た結果を数字で表し学力と呼ぶことに違和感を感じています。欲しい又は必要な知識を獲得する能力のことを学力というのではないでしょうか。

集中・考える

集中している状態というのは、何をやるべきかわかっていて夢中になって行動している「結果」だと思うので、「さあ集中しましょう!」という掛け声自体夢意味だと思います。

あと「考えなさい」という言葉もありますが、これほど抽象的で無責任な丸投げはないと思います。考えて何かを成すということは、目的のために何をどういう手順で進めて仕上げる計画を立てることで、子供はそれがわからないから立ち往生するし失敗もするのです。本人が心から望んで動き出すような魅力的な例を見せてあげられたら素敵だと思います。

基礎

これも抽象的だと思うのですが、例えばピアノを始めるといっても入り口は人によって様々です。音符を読むのが得意な子がいれば、聴力が優れている子もいるし、指の動きが器用な子など様々です。その中で「基礎はこれ」と決まった前提で進めるのは大人の主観を押し付けるようで心苦しいです。

評価

私の体験ですが、アメリカでピアノ調律師の試験を受けたとき、一人の受験生に対して三人の試験官が付きました。一人の主観ではなく、複数が合意することで客観的な判断になるからです。ピアノ教室業界にもセカンドオピニオンを求めたり、複数の先生から習う環境はあっていいと思います。もっと視野を広げれば、インターネットを活用して様々な意見を取り入れた上で自分の出来具合を判定すればいいのです。

子供でも同じです。右手でメロディを弾けたら満足な子、オーディオに合わせて左手でベース音を弾くだけで曲と一体感を味わって楽しむ子もいます。「ピアノ演奏」としては未完成だという意見もあるでしょう。でもそういった意見も受け入れた上で「私はこうだ」と納得できること、そして意見した周りも心から「よかったね」と言ってあげられることこそ多様性を認め合うことになるのではないでしょうか。評価は周りの一意見、判定は自分で、そしてみんながみんなを尊重する、これが最適です。

常識

日本に巣食ってる一番の問題が「常識」だと思います。危険と言っても過言ではないほどに。英語で常識とは「Common Sense」ですが、アメリカで常識という言葉が出たら、周りは「ふーん、君のところではそうなのね」という反応が一般的だったと留学の経験から学びました。日本では「常識だよ」と言われると「え?そうなの?」とついて行けてないことに焦るか、反対に「そうではない」と批判的になりがちです。「ふーん、そうなんだ」と流せることも多様性の受け入れです。

ついでに、最近「論破」という言葉をよく耳にしますが、これも多様性を否定していると思います。あの人はあんなでこの人はこんな、それでいい。まさに「Let It Go」です。辞書で調べると「手放す」だそうですが、「ほっとけ」ですね(^^)。

おわりに

一部内容が重複したりして、まだまだ自分でも地に足つかない状態でもあるのですが、まとまるには時間もかかりそうですし、中間発表としてここで紹介させていただきました。

私がピアノの生徒さんたちに期待しているのは、「もうピアノ教室に通わなくても自分で弾きたい曲を見つけて自分でやっていける」ようになって卒業していってもらうことです。まだまだ未熟ですが、一人でも多くの人にピアノの楽しんでもらえるよう努力していきたいです。

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